ゴーゴーカンダチメ

自称"文系プログラマ"のkandachime11による備忘録。

どう首尾よく仕事のことを忘れるか?

先日、求職者向けに講話をした。

私自身、入社して日が浅いわけで、適任だったというより、「kandachimeは言えばやってくれそうな感じがするから押し付けとけ」感がアリアリだったのだが、講話そのものはまあまあうまくいった*1

 

さて、その講話の質疑応答の時間に出た質問に、私がずっと考え、また先達からいくつか忠告を受けたテーマがあったので、それについて再考してみたい。

 

すなわち、どう首尾よく仕事のことを忘れるか?である。

 

 仕事のことを忘れるべきなのか?

そもそも論として、仕事のことを家では忘れるべきなのかどうかという点から考えたい。

 

違う業界のふたりの先輩

私がこの悩みに最初にぶつかったのは、IT業界に入る前のことである。

当時、新卒だった私は全く違う仕事をしていて、別件で悩みを抱えていたのだが、深刻そうな顔をしていたのがやり手の先輩(仮に「先輩A」と名付ける)に感づかれたらしく、「職場を離れたら仕事のことを忘れるべきだよ」という忠告をいたいだいた。

実は私の悩みは職務内容のことではなく、職場内の人間関係だったのだが、とにかく先輩Aからすれば、「職場外でも仕事のことを考えるのはよろしくない(そしてそれを多くの新人は気づいていない)」という認識があったらしい。

 

正直なところ、当時の私は職務上は(その先輩も認めるほどに)うまくいっていて、悩むようなことは何ひとつ無かったどころか、仕事そのものは楽しかったのだが、振り返れば、家でも仕事のことを考えていた。

学生時代は、家で卒論のことを考えるのは当然だったし、仕事とプライベートの切り離しが全くできていなかったという意味では、先輩Aの指摘は正鵠を射ていたように思う。仮に私があの頃、仕事そのものに支障を抱えていたとすれば、重大な問題になっていただろう。

 

さて、その人間関係の悩みの方は更に深刻になっていき、別のもっと若い先輩(先輩Bとする)の知るところになったのだが、彼は彼で、「やっぱり仕事のことは家で忘れるべきだ」という主張をしていた。

 

「会社と関係ない学生時代の友人は大切にした方がいいよ」

 

先輩Aは、仕事内容のことを忘れろという話だったが、先輩Bは人間関係も切り離せという話である。つまり、職場を離れたら、一切をシャットアウトしろということになる。

実際、当時勤めていたその会社は、田舎の古い中小企業の割に、ワークライフバランスという意味ではともかく、オフの日に社員同士がつるむということはほぼ無かった。

 

IT業界の話

それから色々あって、結局私はその会社を離れたのだが、IT業界にやってきてから、古参の技術者にも、「仕事のことは忘れたほうがいい」と言われた。曰く、その方が長生きできるかららしい。

 

ちなみに、短いなりの私の実体験上も、忘れたほうが良いというのが結論である。一度、考え事を家にそのまま持ち帰り、記憶を頼りに家でコーディングをしていたことがあったのだが、全く何もひらめかないどころか、寝不足になったせいで、翌日の仕事に支障が出た。

それでも大事な仕事のことは忘れられないのが人間だと思うが、少なくとも可能な限りは忘れたほうが良いように思う。

今の会社は社風として、プライベートでも社員と交流し、同じ会社の人間でない友人は仲間ではないという発想が強い(というか、社外に交友関係がある人があまりいないようにも見える)のだが、私について言えば、休みの日に親しくする社員はそんなにいない。いても、仕事と関係のない話をすることが多い。

 

どう首尾よく仕事のことを忘れるか?

手帳を分ける

私は文房具オタクなので、仕事は手帳を開いた瞬間から始まる。というわけで、職場の手帳は可能な限り職場に置き去りにしているし、それができないときでも、絶対に開かない。

そういうわけで、鞄も仕事用とプライベートを分けているのだが、うっかり貸与されてしまったセキュリティカードなどの紛失を避けるという意味でも、仕事用鞄を別で用意するのは悪くないと思う。

 

他のことを詰め込む

何の本で読んだのか思い出せない*2ので恐縮だが、ひとはふたつのことは同時に考えられないらしい。例えば、昨日の晩御飯のことを思い浮かべつつ、自由の女神のことを考えるとか、そういうことは出来ない……とか。

 

それと同様で、帰宅してから何も考えない時間があると、どうしても仕事のことを考えてしまいかねない。何も考えない時間を持続させるというのは、それこそ禅僧でもないと難しいだろう。

そこで、わざと違うこと――例えば趣味のこととか――を詰め込むのである。そもそも仕事以外趣味がないこと自体、精神衛生上あまりよろしくない。

私の知り合いで言うと、漫画だったり、バイクいじりだったり、仕事とは違う言語の勉強という人*3もいた。私自身はというと、日本史だったり、最近はできていないが、旅行をすることもある。

 

それに、いつか仕事を辞める日は必ずやってくる。

大学で社会教育学について学んでいた頃、仕事を勤め上げたものの、仕事以外に生きがいがなく苦しむ人が多いことを知った(そうした人の生きがいとして社会教育が提案されることがあるためである)。

一方で、私の祖父母はというと、勤め人ではあるものの、あまり組織に心酔しない生き方をしてきたということもあるかもしれないが、若いころからの趣味があるお陰か、老後も楽しそうである

若い頃から趣味を用意しておけば、そうした危機を乗り越えられるのかもしれない。

 

とにかく思考の流れを断ち切る

上記と原理は同じなのだが、思うに、ずっと続く「仕事の思考回路」を一度断ち切ってしまえば、それほど仕事のことは考えないで済むような気がする。

私は、最高潮に達すると周りの音が聞こえなくなるほどに強烈だが、他人と比べて持続性の低い集中力しか持っていない(そして、集中が切れると本当に生産性の低い人間になってしまう)ので、1時間おきに集中する時間とそれを切って回復させる時間(だいたいお手洗いで席を立ったり、メールチェックをしたりする)を意識しているが、それでもずるずる考えてしまうことがある。

 

そういう時は、活字を目で追うのである。しかも、ビジネス書のような仕事と近い領域ではなく、仕事とは遠く離れた文章が良い。今はファンタジー小説を読んでいるが、時代小説とか、気力があるなら違うジャンルの学術書でも良いかもしれない。集中や想像の力を違う方向に全開にすることで、無理やり思考の流れを断ち切るのである。

 

仕事のことを忘れることが仕事のためになる

以上、どう首尾よく仕事のことを忘れるかについて少し考えた。

頭脳労働でも肉体労働でも、休息により労働力を再生産することは重要であり、そのために仕事のこと忘れる必要があるとすれば、逆説的だが、仕事のことを忘れることが仕事のためになる。

そうは言っても、案外私はいつでも明日の仕事のことを考えていたりするのだが、何か趣味が欲しい、切実に。

*1:こうして、「やっぱりkandachimeは言えばやってくれる」という有難くないエビデンスがまたひとつ増えたわけである。

*2:確かゆうきゆう氏の著作だった気がする。

*3:全然仕事から逃げられてないやんけと思いつつ試したことがあるのだが、意外と気分転換になるから不思議である。